会話のテクニックなど、実は本当に重要な事を解り難くしているんじゃないか

10月になって、近所の子どもが幼稚園の運動会があるって言っていた。

幼稚園児の運動会なんて、可愛らしいんだろうな。

子どもがいない私には全く縁が無い話なのだが、なぜか幼稚園の運動会の情報が耳に入る。

幼稚園児の話なので、何時・何処でという大切な情報が伝わってこないのだが、彼らが楽しみにしていると言う事は充分に伝わってくる。

そして後から、彼らが言っていた運動会は、昨日の事だったと子ども達の親から聞くことになる。

まあ~日時がわかっていても、私が応援に行く事はないし、誰も望んではいないだろう。

子ども達の情報は、彼らが楽しみにしているって事が伝われば充分なのである。

そして、それだけなのに、ほのぼのと癒されるのである。

義務教育しか受けていない私だが、何時・何処で・何を・誰が・どうしたと言う事を伝えるのが当たり前だと教えられたし、今でも同じように心掛けている。

しかし、本当に伝えたい事が何なのかって事で、伝える情報は変わる。

要するに小学校以来、社会人で20数年の経験で学んだ事は、本当はあまり正しくない事に気付いた。

何時・何処で・何を・誰が・どうしたと言う事を、明確に伝えなきゃならないなんて決まりは、ありゃ嘘だね。

だって、幼稚園児が「こんど、ようちえんのうんどうかいがあるんだ」という話だけで、近所のオッサンには必要な情報が全て伝わるのだ。

はっきり言って、彼らが楽しみにしている事が伝われば、私は充分ほのぼのと癒されるし、それ以上の情報は望んでいない。

「楽しみにしている」と言う事は一言も言わないのに、楽しみにしている事が充分に伝わるし、何時・何処で等という情報は不要なのである。

なんか「何時・何処で・何を・誰が・どうしたと言う事を伝える事が一番重要な事だ」と思い込んでいただけなんだと実感した。

まあ、学校で習ったことなど、実社会では大して役に立たないと思ってはいたが、社会人になっても重要視されていた事も、じつはあまり重要ではない。

ストレートに自分の伝えたい事を表情や態度で伝えればよい。

小さな子どもは、意識せずに重要な事を伝える事が出来るのだが、私は大人になって沢山の会話のテクニックを駆使するが、今ひとつ伝わっていない気がする。

会話のテクニックなど、実は本当に重要な事を解り難くしているんじゃないか。

そんな素朴な疑問が沸いてくる。

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